バンカラとは
バンカラ(蛮カラ)とは,明治維新後の欧米化(ハイカラ)への反骨精神を表すために使われた言葉です.服装については,旧制高校や旧制中学の学生が学生服の上にマントを羽織り,高下駄で闊歩したのが始まりです.また,学生服がボロボロなのは,身なりに気を遣う暇がないくらい勉強に専念した現れということだそうです.このような服装を弊衣破帽といいます.
水高の場合,上の写真のような激しいバンカラになります.これは代々の先輩から譲り受けたもので,裏地には袖を通した先輩の名前が刺繍されています.季節に関係なくこの服装で,屋内や応援活動時は裸足,屋外では高下駄を履きます.屋外ではマントを羽織ることもあります.タクトを振る際には白手袋を着けます.また,リーダーの重要なアイテムとして,手ぬぐいがあります.これは,通常は腰にさげていますが,応援時には簡易タクト台を固定したりと非常に役に立ちます.髪形について,団長が坊主(いわゆるスキンヘッド)になるのは伝統ですが,他のリーダーは基本的に自由です.我々の代は,1人除き運動部だったので,長髪にすることはありませんでした.
水高応援団の歴史を紐解いていくと,昔からこのような形ではなかったようです.リーダーのこのようなスタイルが確立されたのは,おそらく20〜30代あたりではないかと思います.逆に言えば,それ以前はごく普通の生徒でもゲタを履き,手ぬぐいをぶら下げていたので,あまり明確なスタイルではなかったようです.「開校以来の伝統」と書いた新聞記者もいましたが,実はそうではないというのが真相です.
岩手県のバンカラ事情
岩手県内では,北から順に福岡・盛岡第一・花巻北・黒沢尻北・一関第一の各伝統校でバンカラ形態の応援が行われています.また,水高も含め,昔はバンカラ応援を行っていた学校が何校か存在します.各高校の特徴を私見で挙げると,以下のようになります.各高校に共通していることは,旗を用いることと応援時に羽織・袴などに着替えることです.逆に,水高はタクト(手振り)のみで,応援時もバンカラのままです.
福岡(福陵) 県北の伝統校.応援団形式を採っている.昔から野球が強い.やはり欠端(元大洋). 盛岡第一(一高) 県内最古の伝統校.委員会形式を採っている.校歌のメロディーが軍艦マーチ. 花巻北(花高) 花巻地区の伝統校.応援団形式を採っている.伊藤政則の母校(私的ですいません) 黒沢尻北(黒陵) 北上地区の伝統校.部形式を採っている.応援歌で14番まであるものが存在. 一関第一(関高) 盛一に次ぐ伝統校.組織については情報希望.宮城県北から越境してくる人もいる. 私が知っている各校の著名なOBは,福岡が元プロ野球大洋ホエールズの欠端,盛一が宮沢賢治・石川啄木・米内光政(元首相),花北がジョーダンズ三又(芸人)・伊藤政則(音楽評論家),黒北は知りません(申し訳ありません),関一が三好京三といったところです.ちなみに,水高の著名なOBは漫画家の吉田戦車とNHK本局の阿部渉アナウンサーでしょうか.
この中では,花高と黒陵とは友好的な関係にあり,高総体開会式では三校同盟というものを毎年組んで,競技場の中央を狙うわけです.写真は,高総体開会式の前に行われた三校会議での1コマです.